शौच संतोष तपः स्वाध्यायेश्वरप्रणिधानानि नियमाः 2-32
シャオチャ サントーシャ タパハ スワーデャーイェシュワラプラニダーナーニ ニヤマーハ
शौच シャオチャ 清浄
日々入浴を怠らず清浄に保つこと。精神面では怒りや苛立ち汚れた心を取り払うよう心掛けます。
インドであればガンジス河の水を部屋に撒いたり、その水で沐浴すると身も心も清められると信じられています。犯した罪に許しを請い人生をやり直すために沐浴する人もいます。
日々、混みあった場所に居たり、多くの人と会うだけでもエネルギーの交換が行われますね。気持ちが活性することもあれば疲れることもあります。
ちょっと神経質かと思われるかもしれませんが、インド人の考え方では見るだけ・見られるだけでも、また同じ空間で息を吸うだけでも、共通の食器を使うだけでも、お互いエネルギーの交換がされるといいます。
レイキやマッサージなどのヒーリングをする施術者の体内にもカルマやエネルギーを引き受けることになります。それによって影響を受けることもあるでしょうが、次の人へ引き継がないようエネルギーを浄化する方法もあります。
肉体が汚れたぐらいであれば入浴や垢すりで簡単にサッパリできることですが、内側にある気道と呼ばれるナーディの詰まりは、入浴だけで拭い去れないことが多く、病気が根付いてしまったり、胸や喉が詰まるような苦しさを抱えるなどの原因になるようです。
気道を通す方法として、アーサナ、呼吸法、瞑想、マントラ、お灸、カルマヨーガ、お祈り、正しい教えを学ぶ、自己を省みる習慣など多くの方法がありますので、しっくりとご自身に合っていると感じられる方法があれば直感を信じて続けてみてください。
संतोष サントーシャ
足るを知る、満足
日本で広まった生き方のひとつ、ミニマリストもそうですね。衣食住について身の丈にあったものを必要最低限だけ所有する生き方です。物の保管は維持費や手入れなどのために気と時間も消費してしまうので、必要以上のものを持つと息苦しくなってくるのでしょう。
私はインドに住み始めてから1年に2度以上引っ越ししている身なので、衣類もあまり買わず毎日決まった服を回し着して、不用品は必要としている地元の人に譲って身軽に過ごすよう努めています。物に溢れていないところに住んでいるおかげで日本に住んでいた時よりも質素でいられること、またそのおかげで優柔不断な私でも、目的を絞って生かされている気がします。
「これだけあったら十分だ」と質素に生活すると何か素晴らしい事があるかというと・・・2章39節へ続きます。
तप タパ 苦行
स्वाध्याय スワーディャーヤ
「自分について学ぶこと」を意味します。
スワ(自分自身)+アディャーヤ(学習)
読誦(どくじゅ)。経典を読み、教えを学ぶこと。
ヒンドゥ教徒にとってはバガヴァッド・ギーター等の聖典を読み、教えの元に自分自身について考察すること。
マントラを唱えることもスワーディャーヤです。
ईश्वर प्रणिधान (同義語 ईश्वर शरणागति )
イーシュワラ プラニダーナ
(=イーシュワラ シャラナーガティ)
自在神の礼拝。
タパ、スワーディャーヤ、イーシュワラ プラニダーナについては、2章1節のクリヤーヨーガ(क्रियायोग)を参照。
नियमाः ニヤマーハ
(上記五つを)勧戒という。
वितर्कबाधने प्रतिप्रक्षभावनम् 2-33
ヴィタルカーバーダネー プラティパクシャバーヴァナム
「ヤマ、ニヤマに対して、背く感情が現れたら、それに対抗する念想を思い浮かべ、何度もその念想のほうが強くなるようにする。」
वितर्क ヴィタルカ
ここでのヴィタルカの意味は有尋定、無尋定の「尋」の意味ではなく、「戒行に背く感情」のことをいいます。
प्रतिपक्षभावनम् プラティパクシャバーヴァナム
対抗する念想をする。
वितर्का हिंसादयः कृतकारितानुमोदिता लोभक्रोधमोहपूर्वका मृदुमध्याधिमात्रा
दुःखाज्ञानानन्तफला इति प्रतिप्रक्षभावनम् 2-34
ヴィタルカー ヒンサーダヤハ クリタカーリターヌモーディター ローバクローダモーハー プールヴァカー ムリドゥマデャーディマートラー ドゥカージュニャーナーナンタファラー イティ プラティパクシャ バーヴァナム
हिंसादयः ヒンサーダヤハ
他者を傷つける行為(など)
वितर्क ヴィタルカ
「戒行に背く感情」 には3 種類ある。
कृतकारितानुमोदिताः クリタカーリターヌモーディターハ
自らがしたこと、他者にさせたこと、自ら実行はしなかったが同意したこと。
自らがしたこと、他者にさせたこと、自ら実行はしなかったが同意したこと。
लोभ ローバ
(それらの原因は)欲、愛着(によって)
क्रोध クローダ
怒り(によって)
मोह モーハ
迷い(によって起こる。)
मृदुमध्याधिमात्रा ムリドゥマデャーディマートラー
小さなこと、中くらいのこと、大きなことであっても
(मृदु ムリドゥ 小さなこと)
(मध्य マデャ 中ぐらいのこと)
(अधिमात्रा アディマートラー 大きなこと)
दुःखाज्ञानानन्तफलाः ドゥーカージュニャーナーンタファラーハ
悲しみと無知の終わりのない結果を生み続ける。
(दुःखドゥカ 苦しみ、悲しみ)
(अज्ञान アジュニャーナ 無知)
(अनन्त फलाःアナンタファラーハ 終わりのない結果)
इति प्रतिप्रक्षभावनम्
イティ プラティパクシャ バーヴァナム
このように対抗する念想をする。
【仏教用語】
味著(みじゃく) メリット
過患(かかん) デメリット
出離(しゅつり) 離れること
例えば、嘘や所有欲、暴力、盗むことへの衝動が起こったら、それをすることで何が得られるのか、何を失うのか、幸せになれるのかを自問して、分析した結果デメリットが大きいと知り、そこから離れます。
अहिंसाप्रतिष्ठायं तत्सन्निधौ वैरत्याग: 2-35
アヒンサープラティシュターヤン タトサンニダォ ヴァエラティヤーガハ
अहिंसा アヒンサー
暴力や人を害さないこと(が)
प्रतिष्ठायाम् プラティシュターヤーム
強固になることで、定着することにより
तत्सन्निधौ タトサンニダォ
その(ヨギの)前では
वैर ヴァェラ
(すべてのものが)敵意、憎しみ、恨み(を)
त्याग ティヤーガ(tyaaga)
捨てる、やめる。
*この節からは禁戒を守ることによる恩恵があげられていきます。
私がリシケシュで1年間師事しておりましたラーマ師の経験談で、シヴァナンダヨガアシュラムに住み込んでヨガを学んでいた時代、師匠のお供をして弟子たちとジャングルへ向かいました。森林の中で瞑想しているとトラが出てきて、弟子たちはパニックになっていたところ、師は平然と恐れることなく座っていました。そこへトラが近づいてきて師の隣で猫のように大人しく座っていた、という話があります。
ほか、これは以前日本でヨーガスートラの講義で話したことがある話なのですが、ゴータマブッダの弟子にアングリ・マーラという男がいました。彼は仏陀に出会う前は人々の指(アングリ)を切断してそれを連ねて作ったマーラ(数珠)を自分の首にかけ悪行の極みを日々繰り返していました。ある日、仏陀はアングリ・マーラに遭遇し、指を切断すると恐喝されたのですが仏陀は男を改心させ、その場で弟子入りすることになったのでした。
それからはアヒンサク(害を与えない者)という名前を授かり仏道を歩むことになりました。しかし悪行から足を洗ったのちも世間から非難を受ける日が続きました。非難をどれほど受けても、社会的に許される日が来るわけではないのですが、本人が同等以上の苦しみを経験し過去のカルマを解消していく過程を「カルマ落とし」といいます。
修行の道に入った人や、ヨガの修習をするにつれ、理由がわからないのに心が苦しくなったり、同じ体の箇所ばかりケガをするということが訪れるかもしれません。前世から今世までに積んだカルマを浄化するために通らなければいけない道だとされます。
苦悩のない人生はきっと今までの行いがよかったから幸せな果報があったかもしれないし、苦悩に立ち向かう準備がないから現状のままということもあり得ますし、現に苦悩だらけの人生であればカルマ落としの真っただ中にいて解放される時が待っているかもしれませんね。