インド人の国民意識


こちらの写真は小学2年の息子が通うスクールのGeneral Knowledgeの教科書の一部です。ヒンディ語ではヴィャクティットヴァ・ヴィカース(व्यक्तित्व विकास)と呼ばれる教科で、直訳すると"人格の発達"を意味します。 一見、科目の名前だけ聞くと、日本の道徳の授業に近いのかなと思いますが、インドのGeneral Knowledgeは、愛国精神とアイデンティティの確立、マントラ、シュローカ、ポエム、正しい生活習慣の規律がびっしり詰まっていて、私の子供時代の道徳の授業とは全く異なるようです。

記憶している 道徳の授業では、主に人種差別についてだったかと。子供は"差別"が何なのかわからないし、「何故その人たちは差別されるのか」と聞くと、担任の先生は非常に言いづらそうに言葉を抑え込み、はっきりと答えることはありませんでした。

 差別の概念を子供に教え込むよりも、私たちが生まれた国の起源や自分自身についての探求、国民の共通意識になる課題も盛り込んでいたら、学生時代の私の意識は違っていたかと思います。 

 インド共和国は、言語・文化・宗教・思想が混在するから、差別について時間を割いて学ぶより、国家として調和することのほうが優先でしょう。人生観、宗教観、思想などを軸に、心の礎を築くための何かは重要だと思います。 

 この教科書の写真にある「エーカートマター・ストートラム(एकात्मता स्तोत्रम्)」は、33の詩節(シュローカ)から構成され、インドの国家統一を象徴する讃歌で、主にラーシュトリヤ・スワヤムセーヴァク・サンガ(RSS:国家奉仕団)の集会で歌われるサンスクリット語の詩です。

 ヴェーダやプラーナの文体を模倣しているとされる伝統的なサンスクリット語で相当古いのでは、と思いましたが、内容には近代の人物(ヴィヴェーカーナンダ、ラーマクリシュナ、ラビンドラナート・タゴールなど)や国家統一の強調が含まれるため、古代のストートラム(ヴェーダ時代やプラーナ時代)とは異なり、比較的新しい作品だそうです。20世紀前半から中盤、具体的には1940年代~1960年代に作成されたと推測されています。

この背景にはイギリス植民地時代(1858年~1947年)、インドは宗教、言語、民族、文化、地域の多様性によって、統一された「国民意識」を築くことが難しい状況だったことがあります。

イギリスは「分断統治(Divide and Rule)」政策を採用して、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒、カーストや地域間の対立を煽ることで支配を強化した結果、1947年のインド独立時にインドとパキスタンの分離が起こり、宗教対立や地域の分断がさらに顕著になったと言われています。 

 独立後、インド政府は多様な言語、宗教(ヒンドゥー教、イスラム教、シク教、ジャイナ教、仏教など)、文化を持つ地域を一つの国家として統合する必要に迫られました。

この時期、統一された国民意識を統合させるための文化的・精神的なシンボルや物語の構築が急務だったと言われています。 ヒンドゥー文化や伝統が抑圧されたと感じた多くのインド人にとって、ヒンドゥ思想は文化的誇りの回復手段となりました。

 
 冒頭では、至高の存在(パラ・アートマン)への賛美が述べられ、真実(サット)、意識(チット)、至福(アーナンダ)の化身として神を称え、自然の五大元素(パンチャブータ)、惑星、方角、時間などが全てに幸福をもたらすよう祈られています。

例えば、一節目

ॐ सच्चिदानन्दरूपाय नमोऽस्तु परमात्मने
ज्योतिर्मयस्वरूपाय विश्वमाङ्गल्यमूर्तये || १ ||

オーム サッチダーナンダルーパーヤ ナモーアストゥ パラマートマネー
ジョーティルマヤ スワルーパーヤ ヴィシュヴァマーンガルヤ ムールタイェー

(意味:真実、意識、至福の形であり、光明に満ちた世界の幸福の化身である至高の神に敬意を表します。)

このほか、インドの聖なる川(ガンガー、サラスワティ、シンドゥ、ブラフマプトラ、カウヴェーリ、ヤムナーなど)、山(ヒマラヤ、ヴィンディヤ、マヘーンドラなど)、聖地(アヨーディヤー、マトゥラー、カーシー、ドワーラカーなど)が列挙され、母なるインド(バーラタ・マータ)への敬意が表現されます。

古代から現代までのインドの英雄、聖人、賢者、科学者、改革者などが讃えられます。 神話的・歴史的英雄:ラーマ、クリシュナ、ビシュマ、アルジュナ、ハヌマーン、ナーラダ、プラフラーダ。

女神では、アルンダティ、アナスーヤー、サビトリ、シーター、ドラウパディ、ミーラー、ラクシュミーバーイー、アヒリヤー・バーイー・ホールカル、ニヴェーディター、シャーラダー。

王と戦士では、アショーカ、チャーナキヤ、チャンドラグプタ、ヴィクラマーディティヤ、シヴァージー、ラナジート・シン。

科学者・思想家:カピラ、カナーダ、スシュルタ、チャラカ、バースカラーチャーリヤ、ナガールジュナ、アーリヤバタ。

宗教的・社会的改革者:ブッダ、マハーヴィーラ、シャンカラ、ヴィヴェーカーナンダ、ラーマクリシュナ、ダヤーナンダ、ラビンドラナート・タゴール。

聖典としては、ヴェーダ、プラーナ、ウパニシャッド、ラーマーヤナ、マハーバーラタ、ギーターなどが称えられ、インドの精神的遺産が強調されています。

異なる宗教や信仰の一体性も強調されています。シヴァ派、ヴィシュヌ派、仏教、ジャイナ教、シク教などの神々が一つの至高の存在として讃えられ、宗教や宗派を超えた一体性が表現されます。

日本で仏教について触れると多様な宗派や開祖の教えを学ぶことがきますが、インドへたどり着くと直接仏陀の教えや伝説を見聞きし、自分が思っていたより仏教がシンプルに感じられました。しかし、その仏陀の神も、ヴィシュヌ神の化身とされますし、エーカートマター・ストートラムによれば、

❝シヴァ派はシヴァと呼び、ヴィシュヌ派はヴィシュヌと讃え、仏教徒やジャイナ教徒はブッダやアラハントと呼び、シク教徒はサット・シュリー・アカールと呼ぶが、その主は唯一であり、比類なき存在である。❞

と、さらに高度な次元へと飛躍していきます。行き着くところ、唯一のアートマー(エーカートマター)でなければ、インドはまとまらないですし、ルーツを辿ろうとしているのに分派ばかりが発生するようでは往生しますね、笑。

ただし、ヒンドゥ色の濃いイデオロギーに基づくため、すべての宗教やコミュニティを完全に包含するものではなく、現代でもその解釈や影響については議論が続いているそうです。