प्रवृत्तिभेदे प्रयोजकं चित्तं एकं
अनेकेषां ।। 4.5 ।।
プラヴリッティベーデー プラヨージャカン チッタン エカン アネケーシャーン
अनेकेषां アネケーシャーン
(転生による)いくつものチッタを
प्रवृत्तिभेदे プラヴリッティベーデー
あらゆる種類の活動の中で
प्रयोजकं プラヨージャカン
適したところに定めようとするのは
एकंचित्तं エカン チッタン
ひとつの元になるチッタがある。
前節の経文の ニルマーナ チッターニ(निर्माणचित्तानि)という、転生ごとにみられる「顕在した心、現れた心」は、アスミターのより精妙な状態である「我想原質」から発するもので、転生ごとに異なる絵柄が現れる金太郎飴のようなものです。絵柄は異なるけれども、同一の金太郎飴でありながら異なる面が転生ごとに現れます。
तत्र ध्यानजं अनाशयं ।।4.6 ।।
タトラ ディヤーナジャン アナーシャヤン
तत्र タトラ
それらの中でも
ध्यानजं ディヤーナジャン
瞑想によって生まれたチッタは
अनाशयं アナーシャヤン
業遺存を残さない。
転生ごとにみられる「顕在した心、現れた心」の中でも、瞑想によって生じたチッタはカルマのサンスカーラに残らない。また、4章1節で述べられたような、薬草、マントラ、苦行によってシッディ(超常的な能力)を得た場合は欲望や愛着が残っています。それよりも瞑想(ディヤーナ)によって生まれたチッタの状態であるサマーディだけが最高でサンスカーラや欲望に縛られることがありません。
कर्माशुक्लाकृष्णं योगिनस्. त्रिविधं इतरेषां ।। 4.7 ।।
カルマー シュクラークリシュナン ヨーギナス トリヴィダン イタレーシャーン
योगिनः ヨーギーナハ
ヨーギーたちの
कर्म カルマ
行為は
अशुक्लाकृष्णम् アシュクラークリシュナム
白くなく、黒くもない
・अशुकल アシュクラ + अकृष्ण アクリシュナ
シュクラは「白い」、クリシュナは「黒い」。「ア」は打消し。
इतरेषां イタレーシャーン
他の人々にとっては
त्रिविधं トリヴィダン
それは三つに分類され、黒と白と混合である。
白は善業、黒は悪業、白と黒の混合は善と悪が混じった行いです。自らのサンスカーラと関係の断ち切った真のヨーギーのとっては、自分の行いによって結果や果報がどうあっても頓着することなく、ただ働き続けます。
最高の境地に達していない人とは、行為の結果に囚われ、善と悪、善悪の混じった行為の何をしても自らをサンスカーラに縛っている状態です。
ततस्तद्विपाकानुगुणानां
एवाभिव्यक्तिर्वासनानां ।। 4.8 ।।
タタスタダヴィパーカーヌグナーナーン エヴァービビャクティルヴァーサナーナーン
तत: タタハ
その3つのカルマの中から
(善業、悪業、ふたつが混じった業)
तद्विपाकानुगुणानां タドヴィパーカーヌグナーナーン
その人のサンスカーラに刻んだ業報に応じて適合する
वास्वनानाम् ワースナーナーン
欲望
एव エヴァ
~こそが
अभिव्यक्ति: アビヴィャクティヒ
現世に現れる。
前回のおさらいで、転生ごとに異なる動物に生まれ、チッタが異なるように感じるのは、現世に限った心の1部分しか認識できないから、ということでした。
けれどもそれらが同じ「私」のチッタであるのは、「我想原質」という精妙なアスミター(我想)が統括しており、再生のたびに人間としてのアスミターとして現れたり、動物としてのアスミターとして現れるなど、より実体化したアスミターになります。
人間や動物だった時にサンスカーラに刻んだ行為の結果やチッタの痕跡をもとに、特定の業報に適合するものが現れるようになっています。
インドの興味深い話があったので紹介します。
下界をみていた神々が、もっと啓蒙するために人間界や動物界に行くと意気込んで、そっちの世界に生まれ変わったのですが、豚に生まれ変わった途端、天界で誓っていたことなど忘れ、豚の妻と子供たちと寝食を共に暮らすことに満足する生活にふけるようになりました。
天界の神々がそれをみて呆れ「連れ戻さなければいけない」と話し合いました。そこで、神々の力によって洪水で豚の一家が死ぬことになります。豚の体に入った神は、失った豚の家族を思いショックで息が絶えるのですが、天界に戻ると「豚の世界に入った途端、目的を忘れていた」といった言葉が印象に残っています。
こんな神々にもカルマが残っていて、相応しい環境になると、それに相応しい欲望が現れる、というお話です。
जातिदेशकालव्यवहितानां अप्यानन्तर्यं, स्मृतिसंस्कारयोरेकरूपत्वात् ।। 4.9 ।।
ジャーティデーシャカーラヴィャバヒターナーン アピャーナンタルヤン スムリティサンスカーラヨーレーカルーパトワート
जातिदेशकालव्यवहितानां ジャーティデーシャカーラビャヴァヒターナーン
(再生のたびに)生まれ、場所、時において離れ離れ
अपि アピ
であっても
आनन्तर्यम् アーナンタルヤム
サンスカーラの中では分断せず、連続性がある。
स्मृतिसंस्कारयो: スムリティサンスカーラヨーホ
記憶とサンスカーラが
एकरूपत्वात् エカルーパトワート
ひとつであるから。(同一性があるから)
「ジャーティ」は、インドではカースト制度ごとの職業や代々継承する身分や出自を示す言葉としてもいいますが、ここでは「人間としての再生、動物への再生」という広い意味でいいます。
転生ごとに生まれ、場所、時間に隔たりがあるけれども、1個人のサンスカーラはひとつであり、サンスカーラの中では関連して存在している、と説くのは、私たちの習性的な記憶である「スムリティ」と、潜在意識としてのこる残存印象、そして潜在意識よりも、より精妙で通常は自覚できない領域の過去の行為の結果であるサンスカーラはひとつに繋がっているので、そこに因果関係が働き輪廻に連続性をもたらします。
生まれ変わるごとに表面的な性格は変わるけれども、サンスカーラや潜在意識に蓄積している内側の欲求は同じようなものを求めます。家族や職場の影響でもないのに、アフリカンな歌やファッションに憧れるとか、蛇を飼ってみたいとか、動物と会話ができるとか、ダンスや演劇が好き、数学が得意など、それぞれ好みや欲求、得意分野があります。異なる生物に生まれたときは、それは休止状態になりますが、それら欲求や得意分野が生かせる生物に生まれる時、子孫であるかのように似たことを求めて活動します。