ヨーガスートラ 2章42節~2章55節





संतोषादनुत्तमसुखलाभः 2-42
サントーシャーダヌッタマ スカラーバハ


संतोष サントーシャ
足るを知ると

अनुत्तमसुखलाभः  アヌッタマスカラーバハ
それより上がない幸福を得る

कायेन्द्रियसिद्धिरशुद्धिक्षयात् तपसः 2-43
カーイェンドリヤシッディラシュッディクシャヤート タパサハ


तपसः タパサハ
苦行によって

अशुद्धि アシュッディ
不浄 が

क्षयात् クシャヤート
取り除かれ

कायेन्द्रियसिद्धिः カーイェンドリヤシッディヒ
肉体と感覚器官にシッディがおとずれる。

काय カーヤ  肉体 

इन्द्रिय  インドリヤ  感覚器官

सिद्धि  シッディ 超能力。神通力。

स्वाध्यायादिष्टदेवता संप्रयोगः 2-44
スワーデャーヤーヤーディシュタデーヴァター サンプラヨーガハ


स्वाध्यायात्  スワーデャーヤート
読誦の行によって

इष्टदेवता  イシュタデーヴァター
自分が望む神に

संप्रयोग: サンプラヨーガハ
得る。(出会う)

समाधि सिद्धिःईश्वरप्रणिधानात्  2-45
サマーディ シッディヒ イーシュワラプラニダーナート


ईश्वरप्रणिधानात् イーシュワラプラニダーナート
すべてを自在神に捧げることによって

समाधिशिद्धिः サマーディシッディヒ
サマーディを成就する。
(参照1-23)

स्थिरसुखमासनम् 2-46
スティラスカマーサナム

स्थिरसुखम् スティラスカム
安定してぶれることなく心地よく座ることを

आसनम् アーサナム
坐法(アーサナ)とよぶ。
(バガヴァッドギーター参照 6-11,12,13)
一般に「アーサナ」という言葉は、ヨーガ体操と認識されていますが、当時のラージャヨーガでは足を組んで座り「不動で快適に座ること」を「アーサナ」とよんでいます。

प्रयत्नशैथिल्यानन्त्यसमापत्तिभ्याम्  2-47
プラヤトナシェティルヤーナンテャ サマーパッティビャーン


प्रयत्नशैथिल्य プラヤトナシェティルヤ
丹精に、そして緊張をゆるめ、

आनन्त्यसमापत्तिभ्याम्  アーナンテャサマーパッティビャーン
心を無辺の境地に定めることによって

अनंत  アナンタ
終わりがない、無辺なものに心をゆだねる
(同義語)パラマートマー、ブラフマー

समापत्ति サマーパッティ
シッディが得られる。
*シッディとは超能力、神通力のこと。

ततो  द्वंद्वानभिघातः 2-48
タトー ドゥヴァンドゥヴァービガータハ

ततः タタハ
その時(行者は)

द्वंद्व अनभिघात: ドゥヴァンドゥヴァ アナビガータハ
相対するものに悩まされることはない。
(寒熱、苦楽、毀誉褒貶など)


तस्मिन् सति श्वासप्रश्वास्योर्गतिविच्छेदः प्राणायामः 2-49
タスミン サティ シュワーサプラシュワースヨールガティヴィッチェーダハ プラーナーヤーマハ


तस्मिन् सति タスミン サティ
そのアーサナでシッディを得たあと

श्वास  シュワーサ
入息と

प्रश्वास्यो:  プラシュワースヨーホ
出息の

तिविच्छेदः ガティヴィッチェーダハ
動きを制御すること

प्राणायामः プラーナーヤーマハ
プラーナーヤーマ(調気法)という。

プラーナと呼ばれる気の流れと動きをコントロールすることで、それぞれ肉体、マインド、理知の鞘の混乱を解消し整え、私たちの真の姿へ意識を向ける準備を始めていきます。


बाह्याभ्यन्तरस्थम्भवृत्तिर्देशकालसन्ख्याभिः परिदृष्टो दीर्घसूक्ष्मः  2-50
バーヒヤビャンタラスタンバヴリッティヒ デーシャカーラサンキャービ パリドゥリシュトー ディールガスークシュマハ


बाह्यभ्यन्तरस्तम्भवृत्ति : バーヒャビャンタラスタンバヴリッティヒ
出息と入息と保息

 ・बाह्यवृत्ति प्राणायामः バーヒャヴリッティ プラーナーヤーマ
息を吐く時に、時間、回数、プラーナが動く空間に意識をおいて行われる呼吸法。
レーチャカ (रेचक)ともいいます。

 ・अभ्यन्तरवृति प्राणायामः アビャンタラヴリッティ プラーナーヤーマ
息を吸う時に、時間、回数、プラーナが動く空間に意識をおいて行われる呼吸法。
プーラカ (पूरक )ともいいます。

 ・स्तम्भवृत्ति प्राणायामः  スタンバヴリッティ プラーナーヤーマ
息をためる時に、時間、回数、プラーナがとどまる空間に意識をおいて行われる呼吸法。吸ってから息をためるものと吐いてからためるものと2種類あります。
クンバカ (कुंभक)ともいいます。

देश  デーシャ 
空間。息が移動する体の内と外の場所。

काल  カーラ
時間。息を吸う、吐く、ためる時間。

संख्या サンキャー
回数。

परिदृष्ट: パリドゥリシュタハ
(空間と時間と回数によって)はっきりと意識して見定めることのできる(訓練によって)

दीर्घसूक्ष्मः ディールガスークシュマハ
深遠で微細な状態なっていく。

*スクシュマ(सुक्ष्म)は「微細な、軽い」という意味で、スワミ・ラーマデーヴァ著の解説には「奥行のある、深い」というようにも書いてありました。無辺の空間は計れるものではないけれども、自分の体を軸にしてプラーナーヤーマを実践することから、体の内と外を行き来するプラーナの空間、時間、回数によりプラーナを感知する物差しとして使えます。修習を繰り返すことによって、広大な領域に存在するプラーナの中に溶け込み、呼吸そのものが長く、軽やかになっていきます。

बाह्याअभ्यन्तर विषयाक्षेपी चतुर्थः 2-51
バーヒャビャーンタラヴィシャヤークシェーピー チャトゥルタハ


बाह्यभ्यन्तरविषयाक्षेपी 
バーヒャビャーンタラヴィシャヤークシェーピー
プラーナの内外への意識がなくなったもの

चतुर्थः チャトゥルタハ
(それが)第四(のプラーナーヤーマ)である。
この第四の呼吸は著者により様々な見解があるようです。シンプルな原文を直訳すると「プラーナの動きが体内か体外にあるのかの意識がない、それが第四の呼吸である」とあります。

このように解説する人もいます。
「集中している時は息をしていない時もある。だからこれは集中が極まった時のクンバカだ」。

故意に息をとめて、土の中で何日もサマーディ状態で過ごし、弟子に数日後に土を掘り起こしてもらい、マントラを吹きかけて蘇生するインド人の仙人のニュースも聞いたことがあります。超集中サマーディ状態でこういう人もいるかもしれないけれど、この節で述べられている、直訳上で分かるのは「呼吸の動きに意識がなくなったもの」だと私は解しています。 日本ヴェーダーンタ協会出版のスワミ・ヴィヴェーカーナンダ著「ラージャ・ヨーガ」では、2章51節は以下のように示されています。
 
第4は、内または外の対象を熟考することによる、プラーナの抑制である。
【解説引用】これは第4の種類のプラーナーヤーマであって、それは、他の三つには見られない。熟考を伴う長い実践によって、クンバカをもたらす


一方で佐保田鶴治著「解説 ヨーガ・スートラ」ではこのように解説されています。
 
第4の調気は、外部および内部の測定対象を十分に見極めた後になされる止息である 【一部解説引用】 原文をすなおに読めば、「内外の対象をことごとく捨て去ったのが第四の調気である」ということになる。ハウエル氏は、第4の調気を、深い禅定のうちに行われる深くて微細、息が絶えているかのように見える呼吸のことと解している。ヴィヴェーカーナンダの如きも本経文を理解し得なかったと見えて、全く見当外れな訳をつけている。あるインドのヨーギーによると、調気法を行じていると、いつの間に呼吸が止まっているという。


というように、両者の訳と解説が異なっています。

もうひとつ、参考にした解説書は「パータンジャラ・ヨーガ・プラディーパ」というギータープレス出版(コード番号47)の本です。タウンページほどある分厚い本なのですが、ヴィヤーサの意見も交えて一つ一つの節を詳細に解説されています。

4つめの呼吸とは、1から3の呼吸で行ったような、意識して行う呼吸ではない。ただ、吸うことと吐く動作のみが無意識に自然に続いている。クンバカはない。

著者によって、クンバカがあるとか、ないとか、意見が分かれていてクンバカについては不明な点があります。明確に言えることは、繰り返したとおり「第四の呼吸は、息を吸ったり吐いたりすることに意識していない」という状態です。

この本には、オームの音と共にそれぞれのチャクラに意識を注ぎ、ダイレクトにプラーナを送り込む方法など、具体的な第四の呼吸についての実践法も数ページにまたがって書かれてあります。 何かのヨガの古典文献で「息を吸って吐いているだけでもオームの聖音を唱えている。」というのを読んだ記憶があります。口で音を発せずとも、息を吸うときに「オー」という振動と、吐くときに「ム」という振動が出ているのだといいます。

プラーナーヤーマにも大別して2つあるとされます。ひとつは基礎的なフィジカルなトレーニングで、シンプルな実践でも体の不調や病気も真剣にすれば改善していくというもの。もう一つが、基礎の土台ができた上でよりスピリチュアルな領域に入ります。ダイレクトにチャクラを念想してプラーナを自在に任意の箇所に送り込んだり、数メートル先にいる人にプラーナを送って癒すトレーニングなどがあります。

レイキを学ばれた方は感覚的にわかると思うのですが、自分や他者を手当てするときに、手の平や頭頂のブラフマランドラと呼ばれるところからもプラーナと呼ぶエネルギーが出入りします。レイキの研修中に、先生に練習台になってもらって、額に手を当てていた時、雑念が入ったり、疲れていると自分でも手からエネルギーが出ていないのがわかり、先生にも「今日は力を感じられない」と言われたことがありました。

レイキがうまくいっていれば、集中していて自分の呼吸に意識がなく「今日のレイキはできていた」と感想をいただいたので、こういうのも含めて第四の呼吸をしていたのだと思っています。 

もうひとつ、リシケシュのタポヴァンに、知り合いでプラーナを自在に動かしている興味深い人がいます。普段は教職の仕事をされているのですが、プラーナを送ろうと耳に意識すれば耳を振動することができます。私達が足の小指を動かしたり、筋肉質の人が胸筋を振動させるのも同じ原理かと思います。 2章51節は、書籍によって見解が分かれるので、他の本の引用や、自分の体験を書き記しておきました。答え合わせは、実践してみて「ああ、第四の呼吸ってこれのことか」と体得できれば、それ以上議論するまでも無いでしょう。


ततः क्षीयते प्रकाशाअवरणम्  2-52
タタハ クシーヤテー プラカーシャーアヴァラナム


ततः タタハ
それ(プラーナーヤーマの練習)によって

प्रकाशावरणाम् プラカーシャーヴァラナーム
光の輝きを覆っているもの(=煩悩)
(プラカーシャ प्रकाश 光 + アーヴァラナーム आवरणाम् 覆い)

क्षीयते クシーヤテー
消滅していく。

धारणासु च योग्यता मनसः 2-53
ダーラナース チャ ヨーギャター マナサハ


च チャ
また

मनसः マナサハ
心が

धारणासु ダーラナース 
ダーラナー(धारणा)にすすむ
*ダーラナー 瞑想の第一段階。
योग्यता ヨーギャター
能力がついていく。ふさわしくなる。

स्वविषयासंप्रयोगे चित्तस्वरूपानुकार इवेन्द्रियाणां प्रत्याहारः  2-54
スワヴィシャヤーサンプラヨーゲー チッタスヤ スワルーパーヌカーラェヴェンドリヤーナーン プラティヤハーラハ


स्वविषयासंप्रयोगे スワヴィシャヤーサンプラヨーゲー
自分が向けている外部の対象から感覚を離し、

स्वविषय  スワヴィシャヤ 
感覚器官と集中している対象物の2つの結びつき
+ 
असम्प्रयोगे アサンプラヨーゲー
結ばれてあるものを離すこと

चित्तस्य स्वरूप अनुकारः इव
チッタスヤ スワルーパ アヌカーラハ イヴァ
チッタの本性の中に没入していく

प्रत्याहार: プラティヤハーラハ
これを制感という。

感覚器官は外界の対象物と結びつかない状態が作られ、自己の内側に意識を向けていきます。これをプラティヤハーラと呼びます。普段は感覚に引きずられて心が支配されているところを、心が感覚を支配し、外部に向かっている感覚を内側に向けていきます。

人から呼びかけられても、美味しい食事の香りが鼻に入っても、外界に感覚が向かっていませんのでそれらを感知することなく、内側に意識が向いている状態です。
八支則の中で、このプラティヤハーラは内と外の境として線引きされるので、ここまでの支則をバヒランガ・ヨーガ(外的ヨーガ)、ここから後半の支則をアンタランガ・ヨーガ(内的ヨーガ)と包括して呼ぶこともあります。アンタランガ・ヨーガは専念する対象が気やチャクラ、サンスカーラ、心、魂など精妙なものに傾倒していきます。


ततः परमा वश्यतेन्द्रियाणाम्  2-55
タタハ パラマーヴァシュヤター インドリヤーナーム


ततः タタハ 
それにより(プラティヤハーラによって)

इन्द्रियाणाम् インドリヤーナーム
感覚器官を

परमा パラマー
最上に

वश्यता ヴァシュヤター
意のままにする。制御する。支配し得る。

◆補足◆
テキストで使っているギータープレス出版(コード番号135)のものは、解説者が「これは何のことを言っているのかわからない。私は修行者でないから。」と断言している部分が何箇所かあり、ラージャ・ヨーガの実践と研究者のフィールドの違いを考える日々です。 解説者は古典ヒンディ語で書かれた古代のヨーガスートラを用いて解説しています。古典ヒンディ語が理解できるインド人は極少数だと言われるので、難解な翻訳業も修行の範囲だと思うのですけども。 言葉を通して教えを学びつつも、それは近似値まで見ることができ、そのヒントを鍵に私たちは試行錯誤と実践があるのみです。言葉にこだわりすぎない態度も必要でもあり、かといって、我流解釈にならないよう気をつけたいところです。

◆文献補足◆
インドで著名なヨーガスートラ本、またインドのTTCで実際に使われている本などの紹介。
・ギータープレス出版の「ヨーガ・ダルシャナ」と「パータンジャラ・ヨーガプラディーパ」(コード番号47と135)
・アイアンガーの著書
・シヴァナンダ・アシュラムで出版されているもの
・スワーミ・ラーマデーヴァ著の「ヨーガ・ダルシャナ」
・スワミ・ヴィヴェーカーナンダ著の「ラージャ・ヨーガ」(ヴェーダーンタ協会から日本語版もでてます)
は発行部数が多く入手しやすいです。