देशबन्धः चित्तस्य धारणा 3-1
デーシャバンダハ チッタスヤ ダーラナー
(体の内側、外部の) どこか一ヶ所にチッタをとどめること
धारणा ダーラナー
凝念という。
तत्र प्रत्ययैकतानता ध्यानम् 3-2
タトラ プラティヤヤェカターナター デャーナム
तत्र タトラ
その中に
प्रत्यय プラティヤヤ + एकतानता エーカターナター
チッタの働きが一点に持続すること
ध्यानम्(デャーナム dhyaanam)
ディヤーナ、静慮という。
重要ではありませんが、デャーナムध्यानम्はサンスクリット語で、ヒンディ語ではध्यान デャーン dhyaan といいます。一般的に“瞑想する、メディテーション、集中する、注意する”という意味で日常でもよく使われます。
日本で認知されてるカタカナ表記は “ディヤーナ”が多くみられるのですが、インド人には通じないので、“デェヤーン”か“デャーン”と発音してみてください。
तदेवार्थमात्रनिर्भासं स्वरूपशून्यमिवसमाधिः 3-3
タデーヴァールタマートラニルバーサン スワルーパシューンヤミヴァサマーディヒ
अर्थमात्रनिर्भासम् アルタマートラニルバーサム
瞑想する客体のみになり
स्वरुपशून्यमिव スワルーパシューンヤミヴァ
(チッタ)自らが本来の姿になっていくとき
तदेव タデーヴァ
それが(その瞑想段階が)
समाधिःサマーディヒ
三昧とよばれる境地である。
客体である集中している対象と、主体である集中している人が一体になるほどまで溶け込んだ時、これをサマーディといいます。その時のチッタ(心)の状態は、思考や連想、理論の展開など繰り広げられことはなく、客体一点にとどまります。主客一体化し、そこには言葉や他の想念がありません。
त्रयमेकत्र संयमः 3-4
トラヤメーカットラ サンヤマハ
एकत्र エカットラ
瞑想している対象の中に
त्रयम् トラヤム
3つが揃うこと
संयमः サンヤマハ
サンヤマという。綜制(そうせい)。
ダーラナーで客体に集中する態勢にはいり、ディヤーナで集中を深めチッタを一点にフォーカスするよう努めます。主客が一体化するまでになると、それをサマーディといい、この3つの一連の流れをサンヤマいいます。
तज्जयात् प्रज्ञालोकः 3-5
タッジャヤート プラジュニャーローカハ
तज्जायात् タッジャヤート
それを修めると (それ=サンヤマ)
प्रज्ञालोकः プラジュニャーローカハ
ブッディの智慧の光が現れる。
(प्रज्ञा プラジュニャー 智慧 + आलोक: アーローカハ 光 )
別称、智慧の光が出ることを、
アーデャートマ プラサーダ(आध्यात्मप्रसाद)
リタンバラー プラジュニャー(ऋतम्भरा प्रज्ञा)
(1章47,48節 参照)
とも呼びます。
तस्य भूमिषु विनियोगः 3-6
タスヤ ブーミシュ ヴィニヨーガハ
तस्य タスヤ
それは(サンヤマは順序を通して)
भूमिषु ブーミシュ
段階ごとに
(भूमि ブーミ 段階、基盤、下地、)
विनियोग: ヴィニヨーガハ
応用をきかせる。割り当てる必要がある。
*ヴィニヨーガは、ここでは「目的に応じて物を使用すること」「応用をきかせる」「何通りもの使い方をする」といった意味があります。応用することができるほどに物事の本質を知ると、本当の意味で体得したと言えます。
そのため初歩にチャクラや空(くう)など高度な瞑想を試みようとせず、物質的なもの、感覚器官で把握しやすいものから修習します。
トラータカは、ローソクの光や、ひとつの物体を極力まばたきをしないように、長く見続ける行で、うっすら涙が出てくるぐらいまでするのが良いでしょう。集中力・忍耐力を高め目の浄化にもなります。
“段階”という意味のブーミ(भूमि)は、粗雑なものから微細なものへと、段階を設けてサンヤマをすることが説かれます。
ヨーガスートラの1章にもあったように、サマーディの段階も、初めはヴィタルカ、ヴィチャーラ、アーナンダ、アスミター、の順に粗雑なものから微細なものへフォーカスしていく手法が着実な方法です。