新学期が始まり早くも1ヶ月以上が経過しました。子供が通う学校では、小学3年生からマハーバーラタの科目が加わりました。英語のリーディングの教科は別であり、それと比べるとマハーバーラタの英文は文法や単語が難しかったので、宿題のフォローのために私も読んでみることにしました。途中で挫折して積読してしまわない程度のボリュームだったおかげで、読み終えることができました。
小学校のマハーバーラタの担当の先生は「1回しか説明しないから、集中して聞け!」と授業を進めているそうですが、登場人物の家族構成が複雑すぎて大半の子供たちは人物の繋がりが把握できず、結局最初の肝心な所は何度も授業で繰り返すそうです。
それを乗り越えると1話1話が大人も夢中になる内容で、まさか小学生が読む教科書で目頭を熱くしながら朗読するなんて思っていませんでした。
大叙事詩マハーバーラタの文献としての成立はおよそ1600年から2400年前の長期にかけて編纂され、オリジナルはヴィヤーサ仙が口頭で述べることをガネーシャ神が聴き取って高速で書き綴ったとされます。
物語の舞台は5000年以上前が有力説であり、その頃の日本は縄文時代でした。火や水、太陽、天候などを支配する力を神として崇め、それへの賛美や祈りは崇拝の起源であったことでしょう。
クリシュナ神が在世していたとされるマハーバーラタの時代に、既にこのダルマの考え方が確立していたことにも驚きですね。 マハーバーラタは18巻10万詩節から構成され、その一部に神髄とされる教えであるバガヴァット・ギーターが700詩節を占めます。
私が今から10年以上前リシケシュで1年間ヨガを学んでいた頃、サンスクリット語とヒンディー語でギーターを読んで試験対策のためにシュローカを一部暗記するだけでも自分の限界を見ました。さきほども述べたようにマハーバーラタ10万詩節のうち、ギーターが700詩節ですから、如何にしてこのマハーバーラタという大叙事詩が完成していったのか、インド言語を母語としない私たちが全体を知るにはハードルが高すぎます。
生涯にわたり個々の探求者が一話ずつかいつまんでストーリーを蓄積して個々人の心の中に完成していくマハーバーラタには、それぞれに違いがあって当然で、それが現実的ではあります。
その後、私はバラナシーの大学教授のアディカーリー恩師から文法を基礎から習うのですが、インド人学生と共に学びながら暗記の課題が毎日振ってくるのを消化しきれず、腕に蕁麻疹が出てきまして、病院でもらった薬を飲むと頭が朦朧とするので、ただ蟻に噛まれただけかもしれないと思い込み、薬を捨て、長袖を着て隠したら誰も注意を払わずにいましたし、痒くも痛くもないし、自分のできる範囲で取り組んだのでした。
その教授の自宅の玄関には簡易ベッドの上で寝泊まりしながら教授のカバン持ちや身の回りのお世話をしながらサンスクリット語を学ぶ弟子がいて、生活を共にして師から些細なことでも心に刻もうとする昔ながらの師弟関係を目の当たりにしました。
他にも忘れられない人がいて、そのバラナシーのサンスクリット大学で8年間サンスクリット語を学んでいる日本人女性が在籍されていました。
教授からは「(高い境地に達するために)結婚してはいけない」と諭されていたそうです。教授は妻帯者で息子と娘もいらっしゃいますが、特に女性は結婚すると家事育児に加えて、宗教的な家庭の行事など多くの時間とメンタルを使いますから、片手間でサンスクリット語を究めるのはほぼ不可能であろうと知っていてのアドバイスだったのでしょう。道を極めるには何かを犠牲にする覚悟が必要で、その女性が毎日着用する無地で真っ白の衣服に現れていました。
マハーバーラタをサンスクリット語から和訳に試みた先人の方も、同じような目的意識を持たれて、限られた時間の中で目標と関係のないことには時間を割かず、集中力を全振りされてこられたのだろうと思います。
![]() |
| ギータープレス出版のマハーバーラタ ヒンディー語訳全6巻 |
これらに人生を捧げた人たちが語り継ぐ古典の中にみる普遍的真理は、ヒンドゥー教の元の名称がサナータン・ダルマであったように、持続可能な社会のあり方、意思決定のヒントについて膨大な先代の智慧が描かれています。
学校では英語版のテキストを読んでいるのですが、異なる課なのにタイトルが重複していたり、ヒンドゥー教独特の儀式などもそのまま英文字で表記されていたり、固有名詞について発音とスペルが気になったので(長母音か短母音なのか等)、ヒンディー語のテキストも取寄せて、両方を読み比べることにしました。
インドの小学生が読む薄いテキストを読んだまでですが、折角なので記録として、数分で読める要約を今後書き綴っていきたいと思います。

