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シュリー・ガネーシャヤ・ナマハ(マハーバーラタ1)

 5千年前、バーラトワルシャ(भारतवर्ष インド亜大陸)にはシャーンタヌ (शान्तनु)という君主がいた。国の都はハスティナープラ(हस्तिनापुर)に置かれていた。

父シャーンタヌの跡を継いで王位に就いたのは、ヴィチトラヴィーリヤ(विचित्रवीर्य)であった。ヴィチトラヴィーリヤは子供が生まれないまま早死にする。

彼の死後にヴィヤーサの恩寵によりドゥリタラーシュトラ(धृतराष्ट्र)とパーンドゥ(पाण्डु)という二人の息子が生まれる。

ドリタラーシュトラは盲目であったため、パンドゥが王座に就くことになった。パーンドゥには、クンティー (कुन्ती)とマードリー (माद्री)という二人の王妃がいた。

クンティーにはユディシュティラ(युधिष्ठिर)、アルジュナ(अर्जुन) 、ビーマ(भीम)という三人の息子がいた。

マードリーにはナクラ(नकुल)とサハデーヴァ(सहदेव)という二人の息子がいた。これら五人はパーンドゥの息子たちであったため、「パーンダヴァ(पांडव パンドゥの子ら)」と呼ばれた。 

ドリタラーシュトラの王妃はガンダーリー(गांधारी)であった。彼女はガーンダーラ国(गांधार)の王女であり、その国は現在カーンダーラ(कान्धार)と呼ばれている。今日、この地はアフガニスタン領となっていて、当時はインドの領土がそこまで広がっていた。

ドリタラーシュトラとガンダーリーの間には、百人の息子がいた。彼らは皆、邪悪で愚かな者たちであった。彼らは「カウラヴァ(कौरव クル族の子孫)」と呼ばる。 その中で最も年長だったのがドゥルヨーダナदुर्योधनである。彼は傲慢な性格で、パーンダヴァたちに対して強い嫉妬心を抱いていた。 

 ある時、ドゥルヨーダナはパーンダヴァたちを呼び出し、賭博の勝負を挑む。ユディシュティラはこの遊びを好んでいた。こうして勝負が始まった。ドゥルヨーダナの代理として盤に向かったのは、彼の母方の叔父にあたるシャクニ (शकुनि)であった。シャクニは極めて狡猾な男で、彼は策略を用いて勝負に勝ち、パーンダヴァたちは敗北を喫した。敗北の条件として、彼らは国を失うことになった。

さらに、12年間の追放生活と、1年間の正体を隠しての潜伏生活が課された。 哀れなパーンダヴァたちは、13年もの間、森の中を彷徨い歩くこととなる。

追放期間が明けた時、ドゥルヨーダナは彼らに王国を返還することを拒む。シュリー・クリシュナ神もまた、ドゥルヨーダナを説得したが、彼は誰の言葉にも耳を貸そうとはしなかった。

その結果、パーンダヴァたちは戦うことを余儀なくされる。カウラヴァとパーンダヴァの間で繰り広げられたこの戦いは「マハーバーラタ(महाभारत)」として広く知られていて、この戦いはパーンダヴァたちの勝利に終わる。 

 この物語は、ヴェーダ・ヴィヤーサ仙(वेद व्यास) によって一冊の書物として書き記されたものである。その本の名前は『マハーバーラタ』であり、世界で最も長編の書物である。

その執筆にまつわる興味深い逸話がある。 ヴェーダ・ヴィヤーサは、マハーバーラタの戦いを自らの目で目撃した。彼はその出来事を一冊の本として書き記したいと願ったが、それは決して容易な作業ではなかった。


そのためには、非常に速筆で優秀な助手を必要とした。そして、ガネーシャ神は速く書くことで知られていた。ヴィヤーサ仙が彼に祈りを捧げると、ガネーシャ神はこう答えた。

「私は喜んで引き受けましょう。ですが、一つ条件があります。もし私が書き始めたならば、執筆の途中で手を止めることはありません。もしあなたが語るのをやめ、そのために私が書くのを中断せざるを得なくなったならば、私の筆は永遠に止まってしまうことになるでしょう。」 

 ヴィヤーサ仙は聡明な人物であった。彼の方からも一つ条件を提示した。

「はい、私は準備が整ってます。ただし、書くのは、それぞれの詩句の意味を正しく理解できた時のみとしてください。」

 ヴィヤーサ仙の賢さに、シュリー・ガネーシャは微笑んだ。彼は準備を整え、彼らは作業を始めた。ヴィヤーサは話し続け、ガネーシャは書き続けた。

ガネーシャが少し間を置くと、ヴィヤーサは意味を理解させるために多くの新しい詩を伝えました。こうして、素晴らしいマハーバーラタが完成した。

 ヴェーダ・ヴィヤーサの父はムニ・パーラーシャラ(मुनि पाराशर)、母の名前はサティヤワティ(सत्यवती)。彼女は漁師の娘でマトゥラー近くのヤムナー川の中間部に1つ島があり、そこに住んでいた。ヴィヤーサはこの島で生まれた。

そのため、彼は クリシュナ・ドヴァイパーヤナ(कृष्ण द्वैपायन)と呼ばれた。つまり島に住むクリシュナという意味である。クリシュナ・ドヴァイパーヤナは幼少期にヒマラヤ山脈へ行き、彼は12年間瞑想した。 その後、クリシュナ・ドヴァイパーヤナはヴェーダ・ヴィヤーサ(वेदव्यास)となった。

バドリーダーマ(बदरीधाम)にアシュラムを構えたことから、バードラーヤナ(बादरायण) とも呼ばれ、彼は桁外れの知識人あった。

彼は聖なる元の大ヴェーダをリグ(ऋग)、ヤジュ(यजु)、サーマ(साम)、アタルヴァ(अथर्व)の4つに分けた。

そのため、彼はヴェーダ・ヴィヤーサ(वेद व्यास)と呼ばれている。彼はヴェーダの意味を解説するために『ブラフマ スートラ(ब्रह्मसूत्र)』を著し、ブラフマ スートラを解説するために18のプラーナ (अठारह पुराण)を著しました。そして、このマハーバーラタの大叙事詩は5つ目のヴェーダ (पाँचवाँ वेद)と呼ばれている。